子供の頃から漠然と憧れ、
ひとりでも挑戦できる仕事として選んだ設計の世界。
「日常の1ピースとして、動かずにずっとそこにあるもの」。
中学生だった濵崎正巳が見ていた「建築物」のことである。その頃から、建築現場で建物ができあがっていく様子を見るのが好きだった。そして、できあがると、そこから動かず、その姿を変えることなく、そこにあり続ける。当たり前のことではあるが、濵崎はそこに、不思議な魅力を感じていた。かといってものづくりが好きな訳ではなく、どちらかと言えば工作は苦手。だが、イメージした物がカタチになる、その源である設計に憧れ、大学は建築学科に進んだ。在学中、濵崎はワーキングホリデーでオーストラリアに渡っている。たったひとりで、自分は何ができるのか。「自分への挑戦」でもあった。帰国後もひとり旅をいくつか経験し、ひとりですべてをこなす喜びを知った。設計の仕事も、ひとりですべてがこなせれば。そんな思いから、都市や大規模施設の設計ではなく、住宅設計の道を選んだ。自分の夢でもある「動かず姿を変えないもの」がより多く実現できる環境を求め、積水ハウスに入社した。
施主・営業・設計の思いが融合し、
化学反応で生み出される最適な設計図。
「ひとりですべてをこなす仕事とは言え、お客様の思いが最も大切な世界。でも、あまりに希望を聞き過ぎてしまうと、後から後悔が予想される所を見過ごすことになる。双方が満足するプランを生み出すことが、プロの仕事だと学びました」。
濵崎がその思いを強くした事例がある。子育てと多忙な仕事を両立させる方からの依頼を受けた時のことだ。当初は、お客様の状況を深読みし過ぎて、ブレーキをかけている濵崎がいた。コストを抑えた一般的なプランを提案したところ、お客様だけでなく担当営業からも「この程度なの?」という反応が返ってきた。「お子様が留守中も楽しく過ごせ、親が帰ってからも同じ空間で暮らせる家」がお客様の理想。そこから前例のない家づくりが始まった。
「お客様はもちろん、担当営業からも意見がたくさん出て、それを反映させつつ、より発展させたプランを構築していくという感じでしたね。絶対に最高の家をつくるという3者のコミットが、相乗効果を生み出し、化学反応が起こったように、自分では想定外のプランができあがったんです」。できあがったプランは、「部屋という概念がない家」。もちろん将来的には分割が可能だが、濵崎にとって前例がない図面だった。実際にどのような暮らしになるかわからない。だが、お客様からゴーサインが出た。「もうその時は、ひとつのチームのようになっていたので、100%の信頼を頂き、工事が始まった感じでした」。完成した家でお子様たちが喜んで遊ぶ姿を見て、お客様がつぶやいた。「建ててよかった…」。
その言葉に、濵崎は「建築士になってよかった」と、胸を熱くした。
あらゆるケースでアジャストできる
ユーティリティプレイヤーへ。
濵崎はこれまで、さまざまな土地、家族構成、和洋、大小に関わらず多くの住宅を手がけてきた。さらには、美容室やクリニックなど、住宅以外の設計も数多く経験している。
「様々な条件や困難を克服し、できた建物を見てお客様が喜ぶ姿、ありがとうの言葉が、何よりも自分のエネルギー源です。今でも竣工記念日に自分が設計した家に呼ばれることもあり、建築士名利に尽きると、とても嬉しく思っています」。
最後に将来のお客様にお伝えしたいことを尋ねてみた。
「いつも意識していることは、シンプルでありながら、豊かさを感じられる空間であることです。お客様はもちろん、自分自身でも、そこにずっと居たいと思う空間をつくっていきたいですね」。
濵崎正巳/1972年長崎市生まれ。小学6年から加古川市で育つ。摂南大学工学部建築学科を卒業後、1995年に積水ハウスに入社。姫路支店設計課を経て、2018年から神戸支店設計課で勤務。これまでに約450件の設計を手がけ、2010年にはチーフアーキテクトの認定を受けている。