私のファミリー スイート
vol.
01

小説家

平野啓一郎さん

"好きな自分"になれるリビング

ー 後編 ー

美しく深い日本文学を生み出す平野さんのインタビューの後編。
芸術や政治、思想といった分野においても独自の主張を繰り広げ、強い存在感を発揮する平野さん。
前編に引き続き、平野さんのためにスタイリングした「ファミリー スイート」にて、
「幸せな暮らし」をテーマに、家族のあり方、これからの住まいのあり方について語っていただきました。

時を経てカタチが変えられる
家であるといい

いい家とはどんな家なのか、どんな空間がよいのか。それを考える前に、まず、家族というものがあって、そこにコミュニケーションがあって、どのようにスムーズな人間関係を築いていくのかを考える必要があると思います。そして、それをデザインしていくことが空間設計なのではないかと思うのです。

子どもが小さいうちは個室はいらない。広いリビングで子どもの面倒をみながら暮らせばいいと思うんですが、子どもがある年齢に達したら、親に隠れてやることも大事だと僕は思うんです。空間に「仕切り」を作ってあげたほうがいいんじゃないかって。最初は大きなリビングに住んでいて、途中から壁で仕切って、子どものために勉強や自由なことするためのパーソナルなスペースを設けるというのはいい考えじゃないかと思います。

みんな広い家だったらものすごく寛容になると思うんです。何をやっても狭いと不寛容になってしまう。リビングでは小さい子どもは床で過ごしますよね。うちの子どもたちは床でおもちゃで遊んでいて、僕はソファにいることが多く、妻はダイニングチェアが居場所になっています。でも、やがて子どもたちは床からソファに上がってくるでしょうから、その時はもうひとつソファが必要になるかもしれないし、10代になったら、親の顔ばかり見たくもなくなるでしょうし、干渉されずに好きなことをしたくなるでしょう。

僕は人間の多面性を「(ぶん)(じん)」という言葉で表現しているんですが、それは人間は複数の異なる人格((ぶん)(じん))の集合体であって、「自分」は、状況や相手次第で異なる「自分」になる方がむしろ自然だという考え方なんです。人間の多面性を概念化すると、次の段階のコミュニケーションがスムーズになっていく。リビングの床で遊ぶ娘を見て、みんな口を揃えて「今がいちばんかわいい時」と、言うんですが10代になって改めてリビングの設計を相談したら、「なるべくお父さんと顔を合わせなくてもいい壁を、もう1枚作ってください」って言われちゃうかもしれない。

大空間を飾り棚でゆるやかに仕切った(こも)りスペース。自分の時間を過ごせる居どころ。(イズ・ロイエ立川展示場)

もう1度“家族のあり方”を
考え直す必要がある

以前、震災後に建築学科の学生が、これからの家族のあり方を住宅で表現するという展覧会のレビューを書くという機会があったんです。その時に違和感を感じたことは、みな、家族の絆が大事と言わんとして、ものすごく保守的な家族観になっていたことでした。家族みんな仲良く、いつもいっしょにいて、ドアも壁もない空間。家族が何の対立もなく、平和で隠し事もない、そんな家族観に若い人たちが寄っていて、それをみんなが称賛する。僕はそれは危険なことだと思いました。

何といってもそれぞれ違う人間なんですよ、家族って。干渉しちゃいけない部分が子どもにだってあるし、妻の生活に僕が立ち入らない部分もたくさんあるし、彼女も僕の部屋の中に入ってくることはほとんどない。互いを尊重した上で、共有スペースをどうやってかたち作っていくのかがすごく大事な気がします。家族でもプライバシーが必要で、孤立して自分ひとりで好きなことやっている暮らしと、そこからの解放として家族とつながっていくリビングでの暮らしのメリハリをつけた方がいいかなと。漠然といつもみんないっしょ、というのは僕はないと思っています。いいライフスタイルを提案していくことは意味のあることだと思うし、家族の結びつきが強いのはいいことだけれど、綺麗ごとに過ぎないような、リアリズムが反映されてないと、嘘になってしまうと思うんですよね。

シェアハウスのイメージを
住宅にフィードバックさせる

これからの住まいの在り方を考える時に、シェアハウス的な発想がひとつのヒントになるのではないかと考えています。僕はLGBT(性的マイノリティ)の人たちの話をよく聞くことがありますが、今後は結婚しない人も増えていくでしょうし、老後のイメージも変わっていくと思います。家族でなくても友人同士でお金を出し合って家を建てようということもあっていい。結婚した家族か、それ以外かというように価値観が固定されてしまうと孤独な人が増えすぎて、社会が立ち行かなくなってくるんじゃないかと思うんです。

たまたま知り合いがシェアハウス的な共同生活に関わっていたので、その生活を詳しく教えてもらって、写真を見せてもらったりするのですが、家族観が変わります。シングルマザーの人たちもいて、シェアハウスの住人みんなで子どもを育てているんです。仕事で帰宅が遅い時には住人の誰かに子どもを任せる。任せられた人は数人の子の面倒を見ながら一晩過ごす。もし、パートナーが死んでしまい、ひとりで子どもを育てていかなきゃいけないとなったら、そういうとこに住んだ方がいいんじゃないかなと、ふと思いました。子どもたちにとってもそれがいいって。

僕はこのシェアハウスのイメージが一般の住宅にもフィードバックされてくるようなこともあるんじゃないかという気がするんです。それぞれの家族が個室で好きなことをしながら、それだけだと寂しいからコミュニケーションするスペースにも出ていく。共同生活の住人は心地よさを自分なりに考えていったら、シェアハウスに落ち着いていったんだと思うので、家族の住まいもそれぞれの生活はあるけれど、いっしょにいる場所を居心地よくして、くつろいで、いろいろ話したり、料理したりできるようになると快適で、家族というものに纏わりついているストレスが減るんじゃないかと思います。

未来は予想不可能。そして住まいは…

今、バーチャルリアリティーの取材をしていのですが、今後VR(仮想現実)やAR(拡張現実)は実際の生活の中でインパクトを持ってくると思います。仮想空間とリアルなリビングとの関係のような話、今だとSFっぽいけど、5年、10年後には日常になっている可能性がある。家を建てる時にもVRスペースのようなものをつくるようになるのかもしれません。さらにARとなると、リビングは物理的なことにどれだけ装飾をする必要が出てくることになるのか。身体は存在するから、椅子や居場所は必要だけど、他のインテリアは画像を投影できるようなフラットな壁だけでいいのかもしれません。そうなってくると、改めてリアルな生の感触、VRで再現できないテクスチャーやデザインが重視されるようになってくる。リアルなものの価値は徹底的にこだわって、仮想空間で満たされることのない、風の心地よさとか、空気感を追求するのかもしれません。

さらに言うと、寿命100年時代になって、その長い人生の時間を何に使うかってことをすごくみんなシビアに考えだすと思うんですよね。どんなことをしている時間が幸福なのかについても。未来はものすごく予測不可能だから、いろいろなことに関わっていかないと、自分の人生もリスクヘッジができなくなってしまう。一点集中で生きていくと、それが失われた時に路頭に迷ってしまうことになるので、人間関係や趣味や仕事もすべてやって暮らしていく状況をつくっていくことが、これからの時代はいいんじゃないかっていう気がします。本当にね、10年先は分からないから。

PROFILE

小説家

平野啓一郎さん(ひらの けいいちろう)

1975年愛知県生まれ。23歳の時に『日蝕』で第120回芥川賞受賞。以後、数々の作品を発表し各国で翻訳紹介されている。エッセイ・対談集に『私とは何か「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方〜変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』等がある。2004年には文化庁の「文化交流史」として一年間、パリに滞在。美術、音楽にも造詣が深く、幅広いジャンルで批評を執筆。14年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。17年からは木村伊兵衛写真賞の審査員を務める。最新刊『ある男』は読売文学賞を受賞。2019年秋映画化された『マチネの終わりに』公開予定。

イズ・ロイエ立川展示場

東京都立川市泉町935-1
(ABCハウジングワールド立川内No.23)

営業時間/10:00〜18:00 
定休日/火曜・水曜・年末年始  
電話/042-548-0711

鉄骨1・2階建て
鉄骨1・2階建て
木造住宅シャーウッド
木造住宅シャーウッド
鉄骨3・4階建て
鉄骨3・4階建て